小手先のテクニックではない

愛するという行為は、小手先のテクニックではない。

自分の中の多大な部分をその人に使う、あるいは全体に使う。

倫理ともかけ離れていて別に扱うといい。

愛されたいなんて言う人の『愛』は、大事にして欲しい、私のことを理解して欲しいと言うことが多い。

愛する側は、特に何もしていない。

攻撃的な人を愛する場合、それが無言の攻撃であって、非暴力の攻撃であっても、多大に努力を要する。

何もせずに、愛していられるときはいいけど、そこに至るまでは、誰だって、落ち込むし、切さなさや感情がある。

求める人は相手のことまでは考えない。そう、子供の要求のように。

それでは発展していかない。

愛される側の人は在り様が大事で、それが利己的になれば、相手に負担を掛ける。

無垢で在り、無邪気であっても、支える側も人間なんだよね。

絶妙のバランスの上でしか、こういう愛は成立しない。

もうちろん、広義の意味では愛は存在し、実践されている。

しかし、子育てを見ればわかるように、親も怒り、子供は親に気を遣い、常態化する。

親の怒ることをしない子供。

コントロールされた場所は、どうしてもできてしまうけれど、それに慣れると、永続してコントロールされる子供、コントロールする親が誕生する。

子育て本にある様な、テクニックで何とかしようとかしても、ゆがみが出る。

やりたくない気持ち、負担に思う気持ちがあって、その行為をしても相手は伝わってしまうんだよね。

どんなにがんばっても、100%の完璧さは出ない。

コントロールされた子供は、自主性を閉ざす。

できないものを20年も持っているのは無理だ。

最初からなかったことにした方が楽。

そんな子供が、大人になったからって何かができるわけじゃない。

やってこなかったことをやれって言われたってできない。

だから、避ける。無かったことにする。

子育てでコントロールするとそういう子供になりやすい。

他人の迷惑にならない行動。

マニュアルに書かれている行動以外はしない。

考えると失敗したり迷惑になるからやらない。

大人になって、できないのにやらされるから、失敗する。

だから、先生に聞く、占い師に効く、成功の保証を求める。

こころが壊れていく。

これは小手先のテクニックや制限で人に接した結果。

メンタルの病気は環境的に土台があるでしょう。

なるべく早いうちに、それに気がついて自主的行動がとれる、少々他人に迷惑を掛けることがあっても、やってみる。

そうやって形を壊していくことが大事。

病気になった人が悪いんじゃなくて、環境が悪いから。

勘違いして欲しくないのは、親も悪くないってこと。

親も一生懸命。

親が若くて、初体験で、経済的にも厳しいときに一生懸命やった。

結果はどうであれ、そのおかげでそこまで来たんだからね。

後は自分で変わっていこう。

気づくこと、ちょっと怖くてもチャレンジすること。

その繰り返し。みんなスタートラインは違う。

共通してあるのは、未来があると言うこと。

チャレンジするなら変わるし、しないならもっと苦しくなる。

スキルをたくさん覚えるよりも、一度、愛ある関係に入ってしまう方が簡単。

受け身で変われるから。

わかってきたら、相手にもそれを返そう。

それが、子供からの卒業。

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